Tula

ホテル・コンシェルジェのお勧めで、車をチャーターしていくつかの遺跡/史跡を巡ってみた。
ガイドを兼ねるメキシコ人のドライバーがなんとも親切なヒトで、大晦日なのにも関わらず時間いっぱいアレンジしていくつかの遺跡と史跡を巡りつつスペイン語混じりの英語で丁寧に説明してくれた。

そのなかで印象に残ったのが、メキシコシティの中心部のから北へ、高速道路を使って2時間とちょっとの距離にあるトゥーラ遺跡。
ティオティワカン後、トルテカ帝国の遺跡らしい。
乾いた大地に大きなサボテン、そんな道をしばらく歩く。
その先に山に囲まれたトゥーラの街を見下ろす高台に築かれたピラミッド。
風がキレイに渡る、こぢんまりとした遺跡は、なんかノンビリしていて、応じて訪れる人の数もいい案配。

ピラミッドの上から街を見渡しながら、その年最後の日を、午後の時間を少しだけ止めて、風に流されていく雲を眺めてた。
イイ時間だった。

Teotihuacan

 

テオティワカン。
メキシコ・シティからのエクスカーションとしてもっともポピュラーなスポット。
ここだけは、出発前に現地からのツアーを申し込んでいた。
早朝、指定の時間にホテルにピックアップに来るハズなんだけど、予定の時間を15分過ぎてもそれらしきクルマはあらわれない。
ツアー会社に電話すると、今から行きます、と。
オイッ!
まぁ無事にツアーに参加できたから、いいんだけど。

年末のこの日は曇っていて、Tシャツ一枚ってわけにはいかなかったけど、それでも「月のピラミッド」の階段を登りきると一気に汗ができきた。
高さ47メートル、頂上から「死者の大通り」を見渡す。
さえぎるモノが何もないからなのか、風が強い。
「太陽のピラミッド」の階段はとても急で、頑張って登りきった人達の多くは頂上で座り込んでいる。
メキシコの高地を渡る風が冷たくて心地いい。

「太陽のピラミッド」の急な階段を慎重に降りた頃にはすっかりお腹が空いていた。
それでも、ガイドの説明を聞きながらツアーの進行は続く。。

Photoville

マンハッタン・ブリッジとブルックリン・ブリッジに挟まれたDUMBO地区。
この10年くらいのあいだに一気に再開発が進んで、なんか妙にスタイリッシュなエリアになった。
以前このエリアによく訪れていた頃は、それなりに緊張するムードだったし、得体の知れない変なヤツらも多かった。
それなりにヤバそうなヤツも多かったけど、それと同じくらいアーティストやクリエイター達がいて、この界隈の古いビルは小さなアトリエやスタジオがぎっしりと詰まって、そのままマルっとアーティスト・ビルディングの様相をテイしていて、大きなエネルギィに満ちていた。

それがいまや、二つの橋に挟まれたエリアを中心に、ブルックリン・ブリッジ・パークとして綺麗に整備され、レストランやアパートメントが大量にデヴェロップされ、レントは上がり、芝生には日光浴しながらまったりしたり、子供達が嬌声をあげながらメリー・ゴーラウンドでぐるぐるまわってる。
いやはや、光陰矢の如し、時は流れるもんだ。

このフォト・イヴェントのことを知ったのは、たまたま偶然。
先日、9/11の “Tribute in Light” を観るために久々にこの地を訪れた時、このイヴェントの設営と告知がされていたの見たからだった。

その時に気になって訪れた「Photoville」なのだけど、ブルックリン・ブリッジのたもと、というか真下。
無数の貨物コンテナを積み上げた会場スペース。
各個コンテナそれぞれが、エキシビション・スペースになっていて、各フォトグラファ/団体のスタイルを反映したディスプレイになっていて、完全なソロのイメージを表現できるようになってる。
うまいもんだ。

ディスプレイされているのは、ドキュメンタリィや2017年現在のイシューを扱ったフォトグラファの作品が比較的多い。
他にはコンセプチュアル的なものや、アメリカン・ミリタリィのパブリシティ的なもの、ニューヨークにある各アートカレッジの卒業制作的なものなどなど。。
この街ならではのダイバーシティーに沿ったセレクションになっている、といっていいのかも。
選ばれているフォトグラファ達の意思とは関係なく、現代の商業的な意味からのバラエティになっているような気がした。

いかにもアメリカ的だし、それを否定する気もない。
多数のスポンサーがいる以上、それらを納得させるだけのコンセプトとミッションは必要だろう。
そう思うのは、僕の目がゆがんでいるからなのかもしれないけど・・・

蒸し暑いヘイジーな午後、川縁の芝生には逝く夏を惜しむように日光浴に戯れるカップル、子供達の嬌声を横目に、携帯電話に意識を集中するお母さんらしき人々。

このエリア、実際、本当に安全になったんだろう。